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カテゴリ:特集( 3 )

 

モノの哀れ  其ノ参 エド・ウッド完結編

 前回前々回、そして今回と三回にわたってエド・ウッドの映画を紹介しているが、トリを飾るのは、1980年「ゴールドターキー賞」において栄えある「史上最低映画」の称号を獲得した快作だ。
 ウッドが長年構想を練り、自身の代表作とすべく持てる全ての映画愛を注ぎこんで一気に狂い咲いたのが、コレだ・・・・

e0157973_18463724.gif vol.3 「プラン9・フロム・アウタースペース」

 相も変らず金策に困窮するウッドは、ある教会に企画を持ち込み、制作費を捻出するために友人やキャスト全員揃って洗礼を受けるという文字通り神をも恐れぬ暴挙に打って出た。

 撮影に入ったウッドの執念は凄まじかった。

 フィルムショットの使い回しなんて序の口で、全く同じシーンのはずが昼と夜に入れ変ったり、UFOと戦うはずの軍隊が陸軍だったり、近未来SFが過去のノスタルジックな流れに変ったりと右往左往の混乱ぶり・・・(ツッコミ所はまだまだあるが本当にキリがないので)。

 肝心のストーリーはというと、宇宙人が地球に攻めて来て、お墓を荒らして死んだ人を蘇らせて地球人をこらしめる。怒った地球人反撃開始って話だ(ドーダ)。
 だが怒った地球人の中でもミイラ捕りがミイラになったりして、ゾンビになっちゃったりと敵も侮れない感じで話は進む(マイッタか)。

 宇宙船の司令室なんて見事なフル装備で、机と無線機のようなものしかないのだ。いきなり見たら何だか可哀相なオジちゃん達が変な服着て遊んでいるようにしか見えない・・・(宇宙人の決めのポーズはティム・バートンの映画「チャーリーとチョコレート工場」の小人のポーズと一緒)。

 盟友ベラ・ルゴシもいたるところに出没する。撮影途中で死んでしまったルゴシ、似ても似つかない替え玉にドラキュラ伯爵の格好をさせて登場、顔をマントで隠すのがやたらと不自然で話しを大いに混乱させている。生前ベラ・ルゴシを最後に撮影したフィルムも「家の庭先で花の香りをかぎ、なんだかいい塩梅になっている」という感じだったのだが、映画ではその後車に轢かれて死んだ事になっている(なんちゅうやっちゃ)。
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 エド・ウッドは史上最低の映画監督と言われている。実際学生フィルムでもこうはいかない、というショットや演出が満載だし、彼にこそ相応しい称号だと思う。でも自分はこの最低な監督のDVD作品を、生涯の宝物として所有し、しばしば鑑賞している・・・。
 舞台裏を一部知ったせいも勿論あるが、こんなにも愛の込められた作品を私は他に知らない。この3作の他にも、彼の原案・演出作品も数少ないがあるという。確か「死霊の盆踊り」だったか・・・・・・・・うん、それも楽しみにとっておき、機会があったらまた紹介したい(いいってか?)。

      写真:エドワード・D・ウッド JR →
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by aonekoroman | 2008-11-20 13:29 | 特集  

モノの哀れ  其ノ弐

 「グレンとグレンダ」を世に放ち、数々の酷評を浴びて映画制作の機会がなくなったエド・ウッド。ある日ベラ・ルゴシの家に行くと、モルヒネ中毒に落ちぶれたかつての映画スターはとうとうカミさんに逃げられたご様子。失意のルゴシは拳銃自殺の真っ最中。ウッドは慌ててルゴシを説得、「君の主演映画を撮る」と言ったか言わないかは定かではないが・・・・。

e0157973_1385148.gif    vol.2 「怪物の花嫁」 

 さて、どうしたものかとウッドは金策に走るが、誰も彼の映画には出資せず。何とか近所の精肉屋の親父をダマくらかして金を引き出す。でも、そのおかげでウッドは精肉屋のバカ息子を映画に出演させなければならなかったのである。その演技についてはウッドがヘタと云うだけに、それはもう凄まじい演技だったことを意味する。・・が、映画自体が凄まじいので、さほど演技は重要ではないのかもしれない。

 映画のあらすじを少し・・・。

 放射能により超人を作り出す研究をしている博士(ベラ・ルゴシ)は、マッド・サイエンティストのレッテルを貼られて祖国から追放されてしまった。復讐を誓った博士は、ロボという名の低能の助手(ロボットなのかな?)と共に何故かタコを巨大化させたり、近所の人を誘拐しては改造しようとして殺してしまったりと、トンデモナイ無茶をしでかしていた。

 ネッシーの正体も、博士が巨大化させたタコだというからビックリだ。(ホントにビックリだ)

 そしてバカ息子扮するニィちゃんが、巨大タコの調査(?)に来て博士に人質にとられたネェちゃんを救出するというわけだ。 

 ルゴシの健康は日毎眼に見えて悪くなっていた。ハードな撮影(ロボ役の元プロレスラーにブン投げられたり等)が影響したのだろう・・・、撮影はしばしば中断され、ルゴシは隠れてモルヒネをウデに一発、元気を取り戻して撮影再開(無茶すんな)。彼は、真夜中の池で巨大タコと格闘するという壮絶なラストシーン(だから無茶すんな)を撮り終え、映画は完成した。しかし残念ながらというか、当然というべきか劇場では多くの罵声を浴びることとなる。

 そして・・・・・ 
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希代のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシは1956年8月16日(「怪物の花嫁」の公開から3週間後)に心臓発作でこの世を去った。次回作の撮影期間中のことだった。椅子に腰かけた状態で発見されたルゴシ、膝にはウッドの脚本「最後の幕」が置かれていたそうだ。

 映画「怪物の花嫁」は誰が見ても最低でヒドイ作品である。しかし、才能の全くない映画監督と、忘れ去られた名優の夢がそこには詰まっているのだ。

 その後、ウッドの暴走が始まる・・・。
 

 続く・・・・。
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by aonekoroman | 2008-11-19 18:18 | 特集  

モノの哀れ  其ノ壱

 「史上最低の映画監督」という不名誉な称号を持つエド・ウッド(エドワード・D・ウッド JR)。彼は50年代を中心に超低予算の怪奇・犯罪映画を撮っていた。晩年はアルコール中毒で、1978年に心臓発作で亡くなった頃にはほとんど無一文だったそうだ。
 才能の全くない映画監督エド・ウッドと、かつての映画スターでモルヒネ中毒のベラ・ルゴシがタッグを組み、変な友人(色盲のカメラマン、インチキ予言者、オカマ云々)たちを巻き込んではZ級映画をジャンジャカ撮影していた。
 その様子は奇才ティム・バートン監督によって映画化され、エド・ウッドの作品は世界中でカルト的な人気を博したのだ。
 
 そんな彼の代表作品3つを、モノの哀れシリーズと題して1本ずつ紹介したいと思います。           
         

e0157973_14444775.gifvol.1 「グレンとグレンダ」

 この作品は、もともと「私は性転換した」というタイトルの映画として、ある制作会社が企画したものだった。それが出演俳優の降板などがあり、まわりまわってウッドが監督することになったのだが・・・・・・それがオカシナことになったのだ。
 ウッドは女装癖があり、本人も悩んでいた。中々の筋金入りで、兵役中も女性の下着を愛着していたそうだ。そして性転換がテーマの映画を、ある男が女装癖に悩み、それを恋人に打ち明けるまでの映画にしてしまったのだ。そう、まるっきり自分の悩みを映画化し、「私は性転換した」は遥か遠くへ、「女装の趣味は悪くない」に変貌しちゃったのである。

 更にベラ・ルゴシの出演が、事態を余計に混乱させた。
 彼が演じたのは人類の運命を操る支配者、いわば神のような役である(凄い)。彼がイタズラしたことで、エドの心は女になり、女装を始めてしまうという設定だ・・・・(凄い)。
 更に更に、映画の中でルゴシの役柄の説明は一切ないので、観ているアナタは大いに戸惑うことになる。突然稲妻とともにドラキュラ伯爵(ルゴシはドラキュラ役で映画スターになった)が出てきて、ハンガリー訛りの大袈裟な演技でワケの判らないことを叫びたてるのだから・・・。

 ルゴシは言う(正確にはエド・ウッドに言わされた)

 「気をつけろ! 玄関には巨大な緑の龍が座っている。
 小さな男の子や子犬の尻尾、太ったカタツムリを食べてしまう」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 この他にも数々の名(珍)シーンがあるので、じっくり堪能していただきたい。非常にシュールで難解なので、小生ごときが語れるシロモノではないのだ。

 最後にヒロインが主人公に心を開き、自分が来ていたアンゴラのセーターを脱いで主人公に渡すシーンがあるのだが・・・実話にもとずいたのかな?エド・ウッドは相当なアンゴラフェチで、現実にも恋人のアンゴラ類を着あさっていたとか。どっちにしてもかなり個人的な主張である。
 ヒロインは実際にウッドの恋人でした。彼女は実生活でもエド・ウッド(女装)を理解しようと努力はしてみたが、遂に理解することはできなかったそうです・・・。

 こうして世紀のモノローグ(独り言)映画「グレンとグレンダ」は世に放たれた。


 続く・・・・。


 

 
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by aonekoroman | 2008-11-19 12:53 | 特集