歌うたい、おおいに語る

 自分の歌を歌い始めたのは25歳頃からで、「Six」というバンドと「青猫ロマントルソ」の2つだけでしか歌ったことはない。

 2年ちょっと前、当時「ワルシャワ」というバンドでベース、「アンカーブロウ」というバンドでギターを弾いていた自分に、次郎が声をかけて来た。

 「一生兄ちゃん、今度一緒にスタジオ入ろうよ。」

 その頃から凄腕のドラマーとして、名の通っていた次郎からのお誘いに私は舞い上がり、恐縮しながらも喜んで承諾した。次郎は既に私とのバンドについての構想もあったらしく、最初は3ピースを予定していたらしい。ベースがリュータで、ヴォーカルとギターを自分にとのことだった。

 一瞬私は迷った・・・。

 歌にはからっきし自信がないのだ・・・。

 前にも書いたのだが、私はあまり歌が上手くない。これは謙遜でも何でもなく、事実なのだ。だからごくごく一部の人が好いてくれるのはとってもありがたいのだが、逆に理解に苦しむとこもある。でも実際歌いたかったので、とにかく次郎からの誘いは嬉しかった。

 06-07のASIVIカウントダウンライブの時、お互い違うバンドで出た後に、「次は一緒に出よう!今年はヨロシク!!」と乾杯(実際07-08、08-09とASIVIカウントダウンライブは青猫でトリを演奏した)、それから間もなく次郎と2人でスタジオに入って何度か音を出していくうちに、成り行きもあって「青猫ロマントルソ」も出来て、あれよあれよとライブにもこぎつけた。

 ファーストライブ(「奇人たちの晩餐」)はとにかく気持ち良かった!!!

 新しいバンド、今までの自分を払拭できるような何とも言い現せない感覚。

 また歌って良かった!!


 ・・・でも、後日その時の音源を聴いて、私は底なしにヘコんだ・・・。

 まあヒドイ歌だったのだ・・・。

 ひたすら落ち込んで次郎に言った。

 「何でお前はアレだけ叩けるのに俺なんかと演ってるんだ?もっといいヴォーカルはいくらでもいるだろう?」

 正直もったいないと思っていたのだ。でも次郎は真面目な顔して、

 「いやいや、歌は練習すればそこそこ上手くなるけど、自分の世界を、もって生まれたものを表現できるわけじゃないから。」

 「・・・・・・おい、勘弁してくれ、お前そんなことマジで言うな。」

 「いやいや、まあまあ・・(笑)。」

 こんなやりとりが何回あっただろうか・・・。

 いっつも次郎が俺を支えて、鍛えてくれた。

 演奏の上手い下手は別として、音を出し合ってアイツほどサシで色々やりあえる奴は初めてだった。

 2人で音を静かに、時に激しくぶつけあい、そこに青猫メンバーが上手く溶け合った瞬間は数え切れないし、何度も鳥肌が立ち興奮した。

 みんな忙しくて、ライブの本数は思うようにこなせなかったけれど、毎週火曜にスタジオに入ってひたすら音を出してはダラダラとロクデモナイ話しで盛り上がっていた。

 結婚式でも、引っ越しでもたくさん世話になった。

 196さんの結婚式でも、実行委員長の俺がパニックになると次郎がなだめ・・・そんな感じだった。

 二次会では青猫も楽しかったけど、「アマンジャブ」・・・凄かったよなあ・・・。


 次郎は俺と、俺達と本当はどんな音楽がしたかったんだろうか・・・

 少しでもそれが出来てたんだろうか・・・

 短い生涯の終着点に、俺みたいなのが歌っててよかったんだろうか・・・


 マサトとも話したけれど、本当に大きな宿題を残してくれたね。

 次郎が大好きな「ROVO」と「くるり」

 マサトとは「ROVO」、俺とは「くるり」みたいなのがやりたかったのかな?・・・・なんてことを考えたりもしたけれど、

 俺、共通点はメガネしかないぞ・・・。



 マサトやリュータ達が言ってたように、青猫も次郎の運命から何かを学んで行ければと思う。

 
 そして誰に笑われようとも、自分の歌に誇りを持っていられるように・・・

 
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by aonekoroman | 2009-03-27 01:25 | 実録☆管理人の戯言  

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