モノの哀れ  其ノ壱

 「史上最低の映画監督」という不名誉な称号を持つエド・ウッド(エドワード・D・ウッド JR)。彼は50年代を中心に超低予算の怪奇・犯罪映画を撮っていた。晩年はアルコール中毒で、1978年に心臓発作で亡くなった頃にはほとんど無一文だったそうだ。
 才能の全くない映画監督エド・ウッドと、かつての映画スターでモルヒネ中毒のベラ・ルゴシがタッグを組み、変な友人(色盲のカメラマン、インチキ予言者、オカマ云々)たちを巻き込んではZ級映画をジャンジャカ撮影していた。
 その様子は奇才ティム・バートン監督によって映画化され、エド・ウッドの作品は世界中でカルト的な人気を博したのだ。
 
 そんな彼の代表作品3つを、モノの哀れシリーズと題して1本ずつ紹介したいと思います。           
         

e0157973_14444775.gifvol.1 「グレンとグレンダ」

 この作品は、もともと「私は性転換した」というタイトルの映画として、ある制作会社が企画したものだった。それが出演俳優の降板などがあり、まわりまわってウッドが監督することになったのだが・・・・・・それがオカシナことになったのだ。
 ウッドは女装癖があり、本人も悩んでいた。中々の筋金入りで、兵役中も女性の下着を愛着していたそうだ。そして性転換がテーマの映画を、ある男が女装癖に悩み、それを恋人に打ち明けるまでの映画にしてしまったのだ。そう、まるっきり自分の悩みを映画化し、「私は性転換した」は遥か遠くへ、「女装の趣味は悪くない」に変貌しちゃったのである。

 更にベラ・ルゴシの出演が、事態を余計に混乱させた。
 彼が演じたのは人類の運命を操る支配者、いわば神のような役である(凄い)。彼がイタズラしたことで、エドの心は女になり、女装を始めてしまうという設定だ・・・・(凄い)。
 更に更に、映画の中でルゴシの役柄の説明は一切ないので、観ているアナタは大いに戸惑うことになる。突然稲妻とともにドラキュラ伯爵(ルゴシはドラキュラ役で映画スターになった)が出てきて、ハンガリー訛りの大袈裟な演技でワケの判らないことを叫びたてるのだから・・・。

 ルゴシは言う(正確にはエド・ウッドに言わされた)

 「気をつけろ! 玄関には巨大な緑の龍が座っている。
 小さな男の子や子犬の尻尾、太ったカタツムリを食べてしまう」

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 この他にも数々の名(珍)シーンがあるので、じっくり堪能していただきたい。非常にシュールで難解なので、小生ごときが語れるシロモノではないのだ。

 最後にヒロインが主人公に心を開き、自分が来ていたアンゴラのセーターを脱いで主人公に渡すシーンがあるのだが・・・実話にもとずいたのかな?エド・ウッドは相当なアンゴラフェチで、現実にも恋人のアンゴラ類を着あさっていたとか。どっちにしてもかなり個人的な主張である。
 ヒロインは実際にウッドの恋人でした。彼女は実生活でもエド・ウッド(女装)を理解しようと努力はしてみたが、遂に理解することはできなかったそうです・・・。

 こうして世紀のモノローグ(独り言)映画「グレンとグレンダ」は世に放たれた。


 続く・・・・。


 

 
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by aonekoroman | 2008-11-19 12:53 | 特集  

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